人間によってこんなに子育て方が違うのか... @元女子御三家生徒 @元精神疾患患者
今日twitterでお話させていただいた方、
本当に良い人で
私を養子としてもらっていただけないでしょうか
と思った。
何もかも
自分の親と正反対の考え方をもつ
方なのだ。
どのような事項が正反対なのか、
できるだけわかりやすく、抽象→具体となるように以下へ書こうと思う。
社会で必要とされることがわかってらっしゃる
その方は子育てもしながら会社勤めもされているので、社会人から見た人の評価の仕方を書かれていた。
そこには学歴は関係ないと書かれていた。
所詮その人、おそらく実績とか説得力があるか、とかが見られている、と私は解釈した。
ようは、人となりってことだろうか。
一方専業主婦であり、まともに就職をしたことがない私の母は
異常な学歴主義だった。
そして
京大卒で大手メーカー勤めだった父親に対しても
けなしていた。
自分が苦労していないのに他人をけなす人が、お陰様で嫌いになった。
生きるということをわかってらっしゃる
人がまっとうに生きるには、学歴が必要なのではない。
まずは生物学的に、その次に精神的に自立して生きられる能力が必要なのだ。
自分で計画を立ててやりたいことを実行していく、とか
失敗したときにどうやって這い上がるか、
などが必要だと思う。
しかし私の家は、
すべてやることが決められていたし
違反するということが許されなかった。
例えば、
自分で自由研究をしたことがない。
常に親がテーマを決め、親が隣で指示をし、あるいは親が作業し、写真を撮り、文章の構成を決め、模造紙を買ってきて、私あるいは親が書いたし貼った。
何が「自由」研究だ、
なんで何もしていないのに褒められるんだ
とずっと疑問だった。
実際今の歳になって、
失敗を恐れ挑戦しないことが一番成功から遠いと知った。
となると、なんでも親がしてしまうのって、
子供を自立から最も遠ざける行為であり、子供に対する静かな成長阻害剤だと思う。
子供を親の私利私欲を実現する対象として扱っていない
子供を一人の人間として扱ってらっしゃる、のだ。
私が中学受験勉強をしていた頃は、
なぜか私は
人間なのに疲れを感じないロボット扱いされていた。
故障したら怒られる、
みたいな。
具体的には、100点取るのが当たり前、それ以外の点数をとったら怒られる、といった感じ。
実際常に四谷大塚模試ランクはSランクだったし、成績上位社の冊子にはいつも載っていた。
ちなみにこのときバレエに対しても全力で取り組まされていた。(おそらく一人で練習していたら、ここの表現が、取り組んでいた、となっていたはず。)
バレエも同じで、常に横に立たれて、経験もないのにここがいけないなどと言われながら、練習ロボットとなっていた。
しかし、どちらにおいても
母親を満足させた経験はない。
思えば幼稚園の頃から、将来医者になってね、と言われていた。等の本人である私は全く興味を持たなかったものの。医者は、母の昔なりたかった職業なのだ。
そして小学校に上がると、サラリーマンである父親にもう期待できない・母親が昔なりたいと思っていた医者 に子供をさせたいというエゴが働き、長女である私は勉強を始めることになるのだった。
私は母の夢や希望を叶える道具ではない。
そんな完璧な人間じゃない。
いや、普通の人間だ。
まとめ
世の中、こんなに素晴らしい親が存在するんだ! と驚き、
今回記事にしてみた。
あの方の魅力を書くことができているか、
自分の親との対比ができているか心配だが、
また何度か校正しようかな。
ではまた。