納豆、半年後OLになる

やっと社会人になる納豆。日々感じることを書いていく。

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人間によってこんなに子育て方が違うのか... @元女子御三家生徒 @元精神疾患患者

今日twitterでお話させていただいた方、

本当に良い人で

 

私を養子としてもらっていただけないでしょうか

 

と思った。

 

何もかも

自分の親と正反対の考え方をもつ

方なのだ。

 

どのような事項が正反対なのか、

できるだけわかりやすく、抽象→具体となるように以下へ書こうと思う。

 

 

 

社会で必要とされることがわかってらっしゃる

その方は子育てもしながら会社勤めもされているので、社会人から見た人の評価の仕方を書かれていた。

そこには学歴は関係ないと書かれていた。

所詮その人、おそらく実績とか説得力があるか、とかが見られている、と私は解釈した。

ようは、人となりってことだろうか。

 

一方専業主婦であり、まともに就職をしたことがない私の母は

 

異常な学歴主義だった。

 

そして

 

京大卒で大手メーカー勤めだった父親に対しても

けなしていた

 

自分が苦労していないのに他人をけなす人が、お陰様で嫌いになった。

 

 

 

生きるということをわかってらっしゃる

人がまっとうに生きるには、学歴が必要なのではない。

 

まずは生物学的に、その次に精神的に自立して生きられる能力が必要なのだ。

 

自分で計画を立ててやりたいことを実行していく、とか

失敗したときにどうやって這い上がるか

 

などが必要だと思う。

 

しかし私の家は、

 

すべてやることが決められていた

違反するということが許されなかった。

 

例えば、

 

自分で自由研究をしたことがない。

常に親がテーマを決め、親が隣で指示をし、あるいは親が作業し、写真を撮り、文章の構成を決め、模造紙を買ってきて、私あるいは親が書いたし貼った。

 

何が「自由」研究だ、

なんで何もしていないのに褒められるんだ

 

とずっと疑問だった。

 

実際今の歳になって、

失敗を恐れ挑戦しないことが一番成功から遠いと知った。

 

となると、なんでも親がしてしまうのって、

子供を自立から最も遠ざける行為であり、子供に対する静かな成長阻害剤だと思う。

 

 

 

子供を親の私利私欲を実現する対象として扱っていない

子供を一人の人間として扱ってらっしゃる、のだ。

 

私が中学受験勉強をしていた頃は、

なぜか私は

人間なのに疲れを感じないロボット扱いされていた。

 

故障したら怒られる

みたいな。

 

具体的には、100点取るのが当たり前、それ以外の点数をとったら怒られる、といった感じ。

 

実際常に四谷大塚模試ランクはSランクだったし、成績上位社の冊子にはいつも載っていた。

 

ちなみにこのときバレエに対しても全力で取り組まされていた。(おそらく一人で練習していたら、ここの表現が、取り組んでいた、となっていたはず。)

バレエも同じで、常に横に立たれて、経験もないのにここがいけないなどと言われながら、練習ロボットとなっていた。

 

しかし、どちらにおいても

母親を満足させた経験はない

 

思えば幼稚園の頃から、将来医者になってね、と言われていた。等の本人である私は全く興味を持たなかったものの。医者は、母の昔なりたかった職業なのだ。

 

そして小学校に上がると、サラリーマンである父親にもう期待できない・母親が昔なりたいと思っていた医者 に子供をさせたいというエゴが働き、長女である私は勉強を始めることになるのだった。

 

私は母の夢や希望を叶える道具ではない。

 

そんな完璧な人間じゃない。

 

いや、普通の人間だ。 

 

まとめ 

世の中、こんなに素晴らしい親が存在するんだ! と驚き、

今回記事にしてみた。

 

あの方の魅力を書くことができているか、

自分の親との対比ができているか心配だが、

また何度か校正しようかな。

 

ではまた。